理不尽な兄との攻防戦4


「もう、何が何だか分からなくて。俺…」

コップに並々と注いだ烏龍茶を自棄になりゴクゴクと飲む。
兄貴が留守にしている間に家を訪ねてきた兄貴の親友、大塚さんに愚痴を聞いてもらう。

強引に大塚さんを家に上げて、リビングで話を聞いて貰っている俺はそのやり口が兄貴の傍若無人振りと似ているなぁなどと大塚さんが思っていたとはつゆほども思わなかった。

「常識って、兄貴の方が可笑しいと思いませんか!?」

「う〜ん。どうだろう。元から和巳は常識外れだからね。今更な気もするし、それに和巳は葉月君のこと大好きだからねぇ」

「だっ、だだ大好きってなんスか!?俺はあんな傍若無人兄貴嫌です!」

さらりと大塚さんの口から出た言葉にカッと頬が熱くなる。頭の中で意地の悪い笑みを浮かべた兄貴が思い起こされ、どくどくと速まった鼓動に残りの烏龍茶を飲み干す。

「っ、飲み物のおかわり持って来ます!」

ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がり、俺は大塚さんに背を向けた。
ほわわんと穏やかな空気を纏った大塚さんが俺の背中を微笑ましげに見つめていたことにも気付かず。

「可愛いねぇ葉月君。これは和巳が苛めたくなるワケだ」

冷蔵庫を開けた俺は流れ出た冷気にほっと息を吐き、熱くなった頬を冷ます。

「ん?これジュースかな?」

そして、一番下の段に並んでいたフルーツの絵の描かれた缶を手に取った。

「母さんが買ってきたのかな?まぁいいや」

並んでいた缶の中から二缶手に取り、リビングに戻る。
片方を大塚さんの前に置き、プシッと俺はプルタブを開けながら先程座っていた椅子に座り直した。

「大体この間だって兄貴は…!」

「ん?あれ?葉月君これ…」

口を付け、傾けた缶の中身は炭酸だったのかシュワシュワとしていてちょっとだけ苦味がある。
でも、フルーツの味がして美味しい。
一方的に喋って喉が渇いていた俺は美味しさも相まってゴクゴクと飲んでしまった。

「葉月君、これお酒だよ」

そうして飲んでる内に今度は身体全体が熱くなってきて、頭がぐらぐらし、大塚さんの言葉は右から左に抜けていく。

「葉月君?大丈夫?」

「う…ん。そりゃぁ兄貴は昔から格好良いけど…」

「ちょっと待って。今、水持ってくるから」

席を立とうとした大塚さんの腕を掴んで止める。
その時点で俺は自分が何を口走ってるのか自覚が無かった。

「兄貴は…、兄ちゃんは俺だけの兄ちゃんなのに」

「えっと葉月君?」

「それなのに女の人からきゃーきゃー騒がれて、この前も知らない人から兄ちゃんに渡して下さいって高そうなプレゼント押し付けられて…俺、ヤダったのに」

「えっ、もしかして和巳受け取ったの?」

「燃えるゴミで出しとけって」

「それはまた、なんと言うか…」

「うぅっ、兄ちゃんの馬鹿ぁ!何で俺がこんな目に合わなきゃならないんだ!」

支離滅裂な思考に、感情の揺り動くままに俺は声を上げていた。

「ぁあ?誰が馬鹿だって」

その時、カチャリとリビングの扉が開いた。

姿を現した、もとい自宅に帰ってきた和巳は叫んだ葉月と腕を掴まれて困った顔をしている親友を視界に入れて眉を寄せた。

「お帰り和巳」

「…何してる?」

「何って、和巳を訪ねて来たら葉月君に捕まって和巳に対する愚痴を延々聞かされたよ。それで、喉が渇いた葉月君が間違って酒を飲んだってところかな」

ちくりと然り気無く嫌味を交えて説明してきた親友に和巳は一言で返す。

「……帰れ」

「うん、出直すことにするよ。それじゃぁね、葉月君」

やんわりと掴まれていた手を外し、大塚は和巳と擦れ違いざま小さく笑った。

「俺に嫉妬してもしょうがないだろ。ま、頑張れよ。応援してる」

パタンと静かにリビングの扉が閉められ、和巳と葉月、兄弟二人が残される。

「はづ…」

俯いて微動だにしない葉月に声をかけようと和巳が口を開いた瞬間、先に葉月が動いた。
何を思ったのか無言で突撃してきた葉月はがばりと和巳に抱き着くと、ぎゅうぎゅうと腕の力を強めてきた。普段の葉月からは想像出来ない行動に流石の和巳も息を呑んだ。

「っ…」

「…兄ちゃんは俺のだろ?」

酒のせいでとろんと目は潤み、赤くなった顔で葉月は和巳を見上げる。

「兄ちゃん?」

「お前…酔ってるのか」

葉月は中学の頃まで和巳を兄ちゃんと呼んでいた。高校に上がってからは生意気にも兄貴と呼び始め、可愛げも無くなったのだが。

「酔ってない」

ふるふると頭を振り、葉月は擦り寄ってくる。
その行為に和巳は舌打ちを漏らした。

「ちっ、タチの悪ぃ酔い方してんな。水でも飲んで頭を冷やせ」

グッと後ろ襟首を掴まれ引き剥がされた葉月はショックを受けたようにくずりだす。

「やだ!俺は酔ってなんかない!」

「酔っ払いはそう言うもんだ」

離れろとポイッと床に放られた葉月はその仕打ちに悲しくなってぽろぽろと涙を溢し始めた。

「うぅっ…、兄ちゃんは俺が嫌いなんだ!だからいつも意地悪するんだ」

「あのな、」

「…俺は好きなのに。…好きなのに〜」

床に座り込んだまま今度はぐじぐじと泣き出した葉月の前に和巳は溜め息を落として膝をつく。

「お前な。酔っ払いと言えどそれ以上言ったら容赦しねぇぞ」

「ふぇ…?」

ジッと間近で絡んだ鋭い双眸に葉月はこくりと喉を鳴らす。
頬に触れてきた和巳の手を大人しく受け入れ、それどころか葉月はにへらと頬を赤く染めたまま嬉しそうに笑った。

「兄ちゃん大好きぃ」

「そうか」

「う…ンッ…」

ふにっと重なった唇を葉月は心地好さ気に感受する。唇を舐められ、薄く開いた口から侵入してきた舌に始めは驚いた様子だったが、慣れてくると気持ち良さげに瞳を細め、積極的に舌を絡めてくる。

「ンッ…ン…ふぁ…」

絡めた舌を軽く吸い、上顎を舌でなぞってやると葉月は小刻みに身体を震わせ甘い声を漏らした。

すがるように和巳の腕を掴み、熱い吐息を溢す。

「ふぁ…っ、にき…」

角度を変え、深まる口付けにくちゅりと水音が立つ。
家のリビングで何てことをしているのか考える余裕も無く、葉月は和巳から与えられる快楽に酔いしれた。とろりと思考が溶ける。

「…葉月」

「んぁ…っ」

やがて離された唇を透明な糸が繋ぎ、酸欠でくらくらし始めた頭を葉月は和巳の胸に預けた。
じんわりと心を満たす甘やかな熱に浸っていた葉月は時を同じくしてぐるぐると回り出した視界に咄嗟に口許を掌で覆った。

「っう…ぅ…気持ち悪…」

「あ?」

「は、吐く…」

それきり、葉月の意識は和巳に横抱きにして持ち上げられた所でふつりと切れた。



…そして、次に葉月が目を覚ましたのは自分のベッドの上であった。

「う〜っ、ンだぁ?頭いてぇ…」

ガンガンと痛む頭を右手で押さえた葉月は、すらりと伸びた肌色の腕にぎょっとして動きを止める。
頭を押さえた手をぎこちなく下ろし、自分の胸に腹にペタペタと触る。

「何で俺上に服着てねぇの?」

下は履いてるな、セーフ。と、…そこで嫌な予感を感じて恐る恐る葉月は身を起こした。
そこで隣にある温い体温に気付き、思わず口から出そうになった悲鳴を慌てて噛み殺した。

「――っ、あに…き」

隣で眠る兄貴も何故か上半身に服を着ていない。
髪もどことなく湿っている。

「な、なんで…」

「…ん…。あ?…起きたのか葉月」

いつもと同じはずなのに、寝起きの掠れた兄貴の声に妙に鼓動が速まる。
兄貴が上半身を晒して寝ていることも別に今に始まったことじゃない。が、俺は今までだって一度もそんなことして寝た覚えはない。

ギシリと、ただでさえ狭い二段ベッドの下で俺は後ずさる。

「葉月。お前、身体は平気か?」

「は…?」

「それと起きたなら目ぇ冷やしとけ。あれだけ泣いたんだ、腫れて不細工になるぞ」

「うぇ!?ななな…なにっ!?」

兄貴らしくない気遣うような台詞に、言われた内容に頭の中が真っ白になる。

身体うんぬんに、泣いたって何っ!?

かぁっと赤くなったり青くなったり顔色を変えた俺の耳にクツリと低い笑い声が聞こえる。

パニックに陥りそうになりながらちらりと兄貴を見れば、兄貴はベッドから下りるところで。
俺の視線に気付いてか振り向き、湿った髪を片手で掻き上げながらニィと口角を吊り上げた。

「俺にすがり付いて来たお前、素直で可愛いかったぜ」

「はっ…!?」

男の色気を振り撒いて背を向けた兄貴に俺は愕然とし、今、意識を飛ばしたかった。

ベッドの上で頭を抱え唸る。

「うぅっ、何やったんだ俺!頭はいてぇし、身体は…だ、大丈夫だ。でもなんで服着てねぇんだよ!」

何がどうしてこうなったのかさっぱり分からない。
分かるのはあの兄貴に身体の心配をされたこと。顔が泣いた後のように不細工になっていて、服を…。

「まさか俺、兄貴と…」

続きを想像して真っ赤になり、うわぁと枕に顔を埋めて叫ぶ。そして頭に響いた自分の声に頭痛を悪化させ俺はベッドに沈んだ。

「う、嘘だろ…」

それから数日、兄貴を意識しまくっては敵前逃亡、捕獲、逃走と鬼ごっこのような日々が真相を聞くまで続いた。



(あっ、大塚さん!あの日…)
(あぁ、葉月君。身体は大丈夫?)
(なっ―!?)
(二日酔い。和巳から酒を飲ませるなって怒られちゃったよ)

END.

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